2006/02/10

Isram Protest

イスラム教徒の抗議運動
中東、アジア各国で起こってる。

事の発端は去年9月に
デンマークの新聞に掲載された風刺画。
抗議運動がどこかの国で起こったけど
それからヨーロッパのいろんな国の新聞で
「言論・表現の自由」を掲げていろんな風刺画が掲載された。

んで何が発端か知らないけど
最近イスラム教徒の抗議運動が激化
デンマーク大使館への投石、放火
デンマークとかフランス国旗を燃やしたり、踏んづけたり…
連日ニュースで放送されている。
きっと「イスラム教ってやっぱり暴力的で野蛮ね~」って
メディアに洗脳されて「イスラム=危ない奴ら」って
認識させられてる奥サマ方がTV見ながら
中東原産高級フルーツを食べながら言ってることでしょー。


新聞各社は「言論・表現の自由」を掲げているけど
どーなの、コノやりかたは??

十字架持ってる奴らは
自分らの神サマを冒瀆されたらどんな抗議に出る?!
1日に5回お祈りする奴らみたいに
石投げたり、火点けたりしないでしょ、モチロン。
代わりにどんなことする?
政府のお偉いさんが出てきて徹底抗議
「言論・表現の自由」なんてクソ喰らえ!!的なものが展開されるのでは?
それとも歴史を繰り返して十字軍遠征するのか。

そもそも…
「自由」とは(広辞苑より)
1.省略
2.(freedom liberty)
一般的には、責任をもって何かをすることに
障害(束縛・強制など)がないこと。
自由は一定の前提条件の上で成立しているから、
無条件的な絶対の自由は人間にはない。
自由は、障害となる条件の除去・緩和によって拡大するから、
目的のために自然的・社会的条件を変革することは
自由の増大である。この意味での自由は、自然・社会の法則の
認識を通じて実現される。
○×2 省略
○倫理的自由、カントにおいては、意志が感性的欲望に束縛されず、
理性的な道徳命令に服することで、自律と同義。
サルトルにおいては、人間は存在構造上自由であり、
したがって常に未来の選択へと強いられており、それ故自由は重荷となる。

今、風刺画を掲載している新聞社の意志は
感性的欲望に束縛されていないものか???